ローマ共和国(ローマきょうわこく)

[ヨーロッパ−近代]

  1. ナポレオンのイタリア遠征の影響でローマ教皇領に生まれた共和国。 ナポレオンが北イタリアを占領後敵対していたローマ教皇領にも進出し、 これに乗じて反教皇派が教皇を亡命に追いやって共和国の成立を宣言した。 ナポレオンはこれを承認したが、実態はフランスの傀儡国家であった。 その後一時ナポリ王国に占領されるが、 フランスの反撃でナポリが逆に占領され、 ローマもフランスによって再占領された。 その後教皇がナポレオンと妥協したためローマ共和国は廃止され、 教皇とナポレオンが再び対立するとローマはナポレオン失脚までの間フランス帝国に併合された。
  2. 1848年革命でローマに誕生した政権。 革命勃発後、革命の急進化を恐れた教皇は反動政治に走るようになり、 怒った市民によって首相ロッシが暗殺され、 軟禁された教皇はローマからの脱出を余儀なくされた。 ローマは一時無政府状態に陥ったが、 翌年選挙が実施されてマッツィーニら3人の執政が選ばれ、 ローマ共和国の樹立が宣言された。 ローマ共和国では信仰・出版の自由や死刑廃止など先進的な施策が実施されたが、 フランス大統領となったルイ=ナポレオンが教皇支持を打ち出して軍を派遣した。 共和国はガリバルディを司令官として抗戦、 善戦したものの衆寡敵せず敗れて降伏し共和国は短命に終わった。 その後イタリア独立の試みはサルデーニャ王国主導で行われ、 ローマ共和国指導者は司令官ガリバルディを除いて外れることになった。 そのガリバルディも独立戦争に参戦はするものの首相カヴールと対立し、 主流から外れ生涯独自の道を歩み続けた。

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