サルデーニャ王国(サルデーニャおうこく)

[ヨーロッパ−近代]

現在の北イタリア・フランスに跨って存在した国家。 後にイタリアを統一しイタリア王国になった。 南フランス発祥のサヴォア家(サヴォイア家)のサヴォイア公国は スペイン継承戦争に反フランス側で参戦し、 戦後スペイン領であったシチリア島を得てシチリア王国を名乗り、 さらに四国同盟戦争後にオーストリアとの間でシチリア島とサルデーニャ島を交換し、 サルデーニャ王国となった。 このような歴史的経緯からその名に反し本領はサルデーニャ島ではなく 北イタリアのトリノを中心とした地域であった。 ナポレオン戦争中に領土を失いサルデーニャ島に逼塞していたが、 ナポレオン没落後旧領回復に加えてジェノヴァを獲得し、 オーストリアとフランスの緩衝国家としての役割を期待された。 ウィーン体制下でナショナリズムが台頭し、 特に二月革命後イタリアでも各地で蜂起が発生した。 サルデーニャはこれに乗じて北イタリアで領土を獲得しようとしたが、 オーストリア軍に敗れ王は退位・亡命に追い込まれた。 代わって即位したヴィットーリオ=エマヌエーレ2世は首相としてカヴールを登用し、 自由主義的な憲法の下での近代化政策と 巧みな外交戦略によって勢力を拡大させていった。 先ずクリミア戦争に英仏側で参戦して両国との友好関係を築き、 フランスとの間でプロンビエールの密約を結んで後ろ盾を獲得した。 そしてオーストリアに宣戦布告してフランス軍と共に戦ったが、 フランスのナポレオン3世が単独講和してしまったためサルデーニャも講和し、 オーストリア領の内ロンバルディアのみを獲得するに留まった。 しかしミラノを中心とする豊かなロンバルディアを得たことで イタリア諸邦の中で抜きんでた存在となり、 中部イタリアの小国は君主を亡命に追い込んだ上で 住民投票でサルデーニャへの併合が選択された。 その際フランスが密約の履行を要求してきたため サヴォワとニースでも住民投票が行われ、 これらの地域はフランスへの割譲を余儀なくされた。 ニース出身のガリバルディ将軍はこの決定に反発して袂を分かち、 義勇軍を率いて南イタリアの両シチリア王国を征服した。 かれに対しカヴールは南イタリアの占領地で住民投票を行って サルデーニャへの併合を認めさせ、 ガリバルディに占領地の国王への献上を行わせた。 これによってサルデーニャはイタリアの大部分を獲得し、 国名をイタリア王国へと改めた。 イタリアの内ヴェネツィア・ローマが未獲得であったが、 ヴェネツィアは普墺戦争、ローマは普仏戦争に乗じて獲得し、 ごく一部の「未回収のイタリア」と呼ばれたトリエステ・南チロルを除いた イタリア全土を領土に収め、名実ともに「イタリア王国」となった。

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