赤眉軍(せきびぐん)

[中国−新・漢]

新末に発生した農民反乱軍。 山東の琅邪で酒造を営む呂母と呼ばれた老女の息子が役所に勤めていたが、 小罪によって上司の県宰に処刑された。 これを恨んだ呂母は築いた財で若者を数千人集め、 反乱を起こして県宰を殺害した。 呂母はその直後に死去したが若者たちは解散せず、 飢饉から起こった農民蜂起と合流してこれを率いていた樊崇と頭目とし、 数年後には10万を超える大勢力となり新の討伐軍を撃退した。 彼らは新軍と区別するため眉を赤く染め「赤眉軍」を名乗った。 更始帝が新を滅ぼすとこれに帰順したが、 長安で更始帝が堕落し支持を失うと離反し、 少年の劉盆子を傀儡の皇帝とした。 赤眉軍は長安の混乱に乗じて大軍で攻め込み、 更始帝を投降させ後に殺害した。 しかし大半が貧農出身で統治能力に欠けた赤眉軍は長安を統治できず、 また兵数が多すぎて食糧不足となり略奪を繰り返した末に山東への転進を図った。 しかしこれを洛陽で即位した光武帝劉秀の軍に阻まれ、 馮異率いる軍に敗れ劉秀に降伏して解散した。 頭目の樊崇らは再起のため謀反を謀るも露見して殺害されたが、 劉盆子や幹部だった徐宣・楊音は謀反に加わらず平穏に余生を送った。

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