カラーウーン

[中東−中世]

マムルーク朝の8代目スルタン。 バイバルス同様キプチャク平原の遊牧民の出身で、 アイユーブ朝時代にエジプトでマムルークとなった。 アラビア語に不自由であったと言われるが、 バイバルスの部下として頭角を現し、 バイバルスの息子バラカと自分の娘を結婚させてその姻戚ともなっている。 バイバルスの死後そのバラカが後継者となったが、 若年の上に暗愚であったため、 バラカの弟で幼子のサラーミシュを傀儡として立ててバラカを追放した。 さらにバラカ派を一掃した後サラーミシュも廃し、 自らスルタンとなった。 スルタンとなった当初は英雄バイバルスの子を追い落としたことで評判が悪く、 人気取りのため内政に力を注いだ。 また侵攻したイル=ハン国を撃退したり、 十字軍国家相手でも慎重ながらも (カラーウーンは十字軍国家に利用価値を見出していたようである) 有利に戦いを進め、知勇に優れていることを示した。 結局十字軍国家の行動 (略奪行為) からこれを滅ぼすこととし、 最後の拠点アッコンの攻略準備をするものの途中で病没する。 最後のアッコン攻略は息子ハリルによって果たされた。 カラーウーンは己の子孫を後継者とすることに成功し、 以後100年程カラーウーンの子孫がマムルーク朝のスルタンとなった。

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