プガチョフの乱(プガチョフのらん)

[ヨーロッパ−近世]

ロマノフ朝ロシア帝国で発生したロシア最大規模の農民反乱。 エカチェリーナ2世がクーデターで即位するとそれに反発した民衆による暴動が頻発し、 治安が悪化していた。 そんな中ドン=コサック出身のプガチョフは農奴制廃止を掲げ、 民衆や少数民族を勢力に取り込み救世主を名乗るようになった。 武装蜂起に及ぶと自らクーデター後に殺害されたピョートル3世であると僭称し、 露土戦争で疲弊した農民の支持を集めた。 瞬く間に勢力を拡大しウラル山脈・ヴォルガ川流域一帯を占領したが、 兵力を分散させた所を政府軍に反撃された。 首謀者プガチョフは妻子が捕えられたことで皇帝僭称の件が明らかにされ、 人望を失ってコサックに裏切られて捕えられた。 そしてモスクワで公開処刑されたことで乱も完全に鎮圧された。 このプガチョフの乱を始めとした反乱により、 啓蒙専制君主であったエカチェリーナは反動専制君主へと変貌し、 ロシアの農奴制は強化されていった。

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