私掠船(しりゃくせん)

[ヨーロッパ・世界−近世・近代]

海軍とは別に主に敵国の商船を攻撃する許可を与えられた個人所有の船。 言わば海の傭兵だが、俗に「国家公認の海賊」とも呼ばれる。 この制度を国家の柱に据えたのは近世エリザベス女王時代のイングランドである。 当時植民地経営や海軍軍備でスペインに後れを取っていたイングランドは これを補うため私掠免許を出しスペイン商船を襲撃させた。 これはビジネスとしても優秀で、 特にフランシス=ドレークは出資額の数十倍、 国家予算を上回る金額を女王に献上したと言われる。 ドレークは後にアルマダの海戦の勝利にも貢献し、 また私掠船の献上金は後の植民地拡大にも使われた。 ただし陸の傭兵同様成功例ばかりではなく、 アメリカ南北戦争では南軍が私掠船を用いたが、 圧倒的優勢であった北軍の海軍に壊滅させられた。 またほとんどどころか本当に海賊と化して味方の船を襲うものも現れたという。 近代に入ると国民国家の意識が進んで国際条約で私掠船を用いないものとし、 20世紀のハーグ平和会議で武装商船は軍艦として扱うと定められ、 私掠船の慣習は消滅した。
ドレークを始めとするイギリス私掠船が成功したのは、 当時のスペインとの経済格差が圧倒的だったからというのが大きいだろう。 後にイギリスの植民地が拡大して豊かになるとイギリスは私掠船を使わなくなった。 ナポレオンの大陸封鎖令でも私掠船が用いられたが、 海軍はイギリスが強かったので私掠船を使う余地があったということだろう。

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