[ヨーロッパ−近世]
ポーランド−リトアニア共和国、フランスの軍人。
最期のポーランド王スタニスワフ2世の甥であり、死の直前にフランスの元帥になった。
貴族軍人ポニャトフスキ家の子としてウィーンで生まれ、
その直後に伯父がポーランド王となったため大公の称号を与えられた。
最初はオーストリアの軍人となったが、伯父の要請で帰国してポーランドの少将となった。
周辺国によるポーランド分割に抵抗したものの敵わず、祖国は滅亡した。
その後雌伏していたが、ナポレオンが台頭するとこれに従い、
旧故国に衛星国としてワルシャワ大公国が建設されるとその軍司令官となった。
ポーランドの旧領回復を狙ってナポレオンのロシア遠征に参戦したものの、
遠征失敗により公国の存亡も危うくなった。
それでもポニャトフスキはナポレオンに従い続けたが、
ライプツィヒの戦いで元帥に任じられた直後、退却のため渡河中に溺死した。
ポニャトフスキはコシチュシュコと並ぶポーランドの英雄なのだが、
王の甥という立場故の貴族主義と、ナポレオンに従ったことから
コシチュシュコほどの人気はない。
しかし彼なりに祖国のために尽くそうとし、また軍人としてもかなり有能であった。
ナポレオンは没落後に「彼は真のポーランド王だった」とまで語っている。
(あまり重用しなかった後悔も含まれてしたかもしれない。)
大公に担ぎ上げたザクセン王より、ナポレオンに対する実際の貢献度はずっと上だった。
彼もまた一人の悲劇の英雄と言えよう。