ポーランド=リトアニア共和国(ポーランド=リトアニアきょうわこく)

[ヨーロッパ−近世]

ポーランドが元々同君連合であったリトアニアをルブリン合同によって 事実上併合して生まれた国家。 国家元首は王であるが、世襲ではなく貴族(シュラフタ)による選挙によって選ばれ、 貴族の立法府(セイム)が実権を握っていたため、貴族共和政国家と見なされている。 この制度は貴族達に「黄金の自由」と自賛されていたが、 後の国内対立と衰退・滅亡の原因となった。 当時のリトアニア大公国は現在のリトアニアだけでなく、 ラトビア・ベラルーシ・ウクライナなどを含む大国であり、 よってそれを併合したポーランドも当時のヨーロッパでオスマン帝国に次ぐ大国となった。 一時はロシアのリューリク朝断絶に端を発した動乱時代に一時モスクワを占領するなど 勢威を誇ったが、広大な領土に見合った統治ができず、 ウクライナ=コサックの反乱独立、 スウェーデン侵略に端を発したプロイセン独立といった事態を招き、 衰退していった。 軍事的にはコニェツポルスキ・ヤン=ソビエスキなどの名将を輩出し、 騎兵はヨーロッパ最強と恐れられたが、 政治・外交では優れた指導者に恵まれず、国家衰退を止められなかった。 貴族共和政もポーランドに関心の薄い外国人王の推戴など有効に機能したとは言えず、 18世紀には周辺強国の緩衝国として扱われる有様であった。 特にバルト海の覇者となったロシアの脅威に見舞われ、 保護国化、次いでオーストリア・プロイセンも交えた分割によって滅亡した。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る