フィリップ4世

[ヨーロッパ−中世]

中世フランスのカペー朝の王。 その容姿から (端麗王) の異名を持つが、恐るべき策士でもある。 ノガレら世俗の法曹家を登用し、中央集権化を進めた。 また、ギエンヌ (フランス南西部) やフランドル (フランス北西部・低地諸国) の領有を巡って外征したが、戦局は一進一退で財政難に陥った。 戦費調達のため教会に課税したが、そのためローマ教皇と対立した。 フィリップは聖職者・貴族・市民の代表からなる三部会を招集して国民の支持を集め、 部下のノガレに命じて教皇を襲撃した (アナーニ事件)。 襲撃には失敗したものの直後に教皇ボニファティウスが死去したため、 フランス人のクレメンスを教皇にし、 教皇庁をフランスのアビニョンに移して己の傀儡とすることに成功した。 さらに多くの財産を持つテンプル騎士団に対して罪をでっち上げて逮捕し、 幹部を異端罪で処刑、財産を没収して騎士団を解体した。 これらの行動によりフランスの王権は強まったが、 息子の妃のスキャンダルにより不本意な晩年を送った。
フィリップは有能かつ合理的で王権強化に成功したが、 酷薄な性格で教皇やテンプル騎士団に対する行動で後世に悪評を残した。 また、彼の死後程なくしてカペー朝は断絶し、 百年戦争によりフランスは停滞期に入ることになる。

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