フィリップ2世

[ヨーロッパ−中世]

中世フランスのカペー朝の王。中世最高の名君とも言われ、 オーギュスト (尊厳王) の異名を持つ。 父の生前から優れた資質を示したが、その死により若くして即位した。 当時のフランスの王権は弱く、 イングランド等を支配するプランタジネット朝に圧倒されていたが、 フィリップはプランタジネット王家の仲違いを利用した。 まず王子ジョフロワ、その死後は王子リチャードを嗾けて父ヘンリーと争わせた。 リチャードが即位すると同盟し、ともに十字軍に赴いた。 リチャードはこの十字軍の働きで「獅子心王」と呼ばれるようになるが、 フィリップは途中アッコンが陥落した時点で 実益の少ないこの遠征から引き返した。 ここで王の不在を利用してリチャードの弟のジョンを煽りたて、 さらにリチャードの帰国妨害にも加担したが、 リチャードは帰国してジョンは屈服し、両家の仲は険悪になった。 猛将リチャードを相手としては苦戦が予想されたが、 リチャードは小競り合いの最中呆気なく戦死した。 その後ジョンは即位したが、フィリップはその甥アーサーを立て、 さらにアーサーが殺害されると自ら対抗した。 ジョンは神聖ローマ皇帝オットーやフランドル伯と同盟してフランスを攻めたが、 フィリップは教皇やオットーのライヴァルであるホーエンシュタウフェン家の フリードリヒと同盟し、ブービーヌの戦いで勝利した。 その後息子のルイは一時ロンドンの占領までしたが、 イングランドの屈服までには至らなかった。 晩年は主にキリスト教異端であるカタリ派に対抗してアルビジョア十字軍を興し、 南フランスに支配権を広げた。
フィリップはその死までにプランタジネット家の大陸領の大部分を奪い取り、 さらに南フランスにまでも支配権を広げ、 フランス王家の強大化に大きく貢献した。 同時に首都パリを始めとする都市を整備し、民衆の支持も得た。 そのためローマ初代皇帝オクタヴィアヌスの称号アウグストゥスから オーギュストと呼ばれるようになった。

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