ピョートル3世

[ヨーロッパ−近世]

ロマノフ朝ロシア帝国の皇帝。 北ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公の子として生まれ、 カール=ペーター=ウルリヒと名乗っていた。 母がピョートル大帝の娘であったことから女帝エリザヴェータに後継者として指名され、 ホルシュタイン公の地位のままサンクトペテルスブルクへ移ってロシア正教に改宗、 さらに改名してピョートル=フョードロヴィチと名乗った。 ピョートルはプロイセンのフリードリヒ大王の信奉者であったため、 プロイセンと敵対したエリザヴェータやロシア貴族と対立した。 7年戦争の最中エリザヴェータが死去すると皇帝として即位するが、 国内の反対を押し切ってプロイセンと単独講和した。 その際ロシアが優勢であったにも関わらず領土も賠償金も要求しなかったため 国内の不満が爆発し、 不仲であった皇后エカチェリーナがクーデターを起こした。 その結果在位6カ月で退位に追い込まれ、 さらに後顧の憂いを断つためにおそらく近衛部隊の独断により殺害された。
ピョートル3世は長年無能な皇帝と評価されてきた。 これはクーデターを起こしたエカチェリーナによるプロパガンダの影響もあるが、 公私混同し自分の崇拝するフリードリヒ大王のために 自国ロシアの利益を切り捨てたことが大きかった。 当然ロシア国内での評価も低かったが、 後年エカチェリーナの統治に対する不満が高まると ピョートル3世の僭称者による反乱が勃発した。 本人が無能でも判官贔屓は発生するようである。

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