ペルシア戦争(ペルシアせんそう)

[ギリシア・中東−古代]

オリエントの覇者アケメネス朝ペルシア帝国と ギリシアの諸ポリスとの戦い。 小アジアのエーゲ海沿岸のポリスが ペルシアに反乱を起こしたのがきっかけで、 制圧しようとするペルシアと 反乱を支援するギリシアのポリスとの間の戦いに発展した。 ペルシアは圧倒的に物量で勝り、 戦車や騎兵を活用しオリエントの大帝国としては戦術も発展していたが、 ギリシアは兵士が自由市民であるが故の士気の高さと (オリエントでは殆どが傭兵である) 重装歩兵の有効的な活用によって互角以上に戦った。 やがてマラソンで有名なマラトンを始めとする戦いでギリシア側が勝利し、 ペルシアはエーゲ海周辺の覇権を失った。 代わってギリシア側で中心的役割を果たした アテナイがその後しばらく覇権を握る事となった。 ギリシアの自由と独立を題目として戦ったギリシアのポリスであったが、 結局、ペルシアがアテナイに替わっただけであった (気分的にはバルバロイよりはマシだったかもしれないが)。

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