パルティア

[中東−古代]

カスピ海沿岸に興り、中東一帯を支配した王国。 建国者の名を取ってアルサケス朝とも言い、 漢字で安息と書くのはこのアルサケスの当て字である。 イラン系遊牧民が最大のディアドコイであるセレウコス朝から独立してできた国家で、 バクトリアやセレウコス朝を圧迫して発展した。 ローマとも戦い、特にカルラエでクラッスス率いるローマ軍を全滅させ、 アントニウスも撃退した。 その後帝政時代にはアルメニアを巡って度々ローマと対立したが、 アグリッパやコルブロの尽力により、比較的平穏な関係が続いた。 しかし、トラヤヌス以降度々ローマに侵略されて衰え、 新興のササン朝に滅ぼされた。
パルティアは、遊牧民が興した国家で、弓矢を装備した軽騎兵が軍の中心だった。 馬まで鎧を着せたカタフラクトスと呼ばれる重騎兵もいたが、 少数な上装備が重すぎてあまり有用ではなかったらしい。 今日、英語で「パルティアン=ショット (Parthian shot) 」と言う語が、 最後の一矢または捨て台詞という意味で残っており、 後世のモンゴル程洗練されていないものの、 同様に走りながら矢を打ちまくる戦法を得意とした。 軽装であるため攻撃力は弱いものの、平地では恐るべき戦法である。 歩兵主体のローマ軍は、相当苦戦したものと思われる。 ただし、大貴族が割拠するオリエント風専制国家であり、 積極的に大攻勢をかけることはあまり無かった。

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