[ビザンティン帝国]
ビザンティン帝国の最後の王朝。
パレオロゴス家は十字軍来寇以前から名門で、
専制公 (大領主) で帝位継承権もあった。
亡命政権のニケーア帝国でも勢力を持ち、
ミカエルが遂に実権を握ってコンスタンティノープルを奪回し、
皇帝となった。
ミカエルふは謀略で帝国を守ったが、既に国力は低下していたため、
息子アンドロニコスの代には小アジアの領土を多く失い、
勢威は低下した。
ヨーロッパではセルビアやイタリアの都市国家、
小アジアではトルコ人の勃興によって押されていたが、
最も悩まされたのは頻発する内乱だった。
帝位を巡って親族で争い、その度に外部勢力が介入したため、
やがて首都コンスタンティノープルとペロポネソス半島の一部を
領するだけになり、オスマン帝国の属国となった。
最後の皇帝コンスタンティノス11世は事態打開のため教会合同を行ったものの
頼みの西欧の援軍は得られなかった。
そして若きスルタンであるメフメト2世によって征服され、
帝国は滅亡した。
尚オスマン帝国のスルタンであるメフメト2世もローマのカエサルを名乗ったが、
ビザンティン帝国とは全く違う国であるためか定着はしなかった。
パレオロゴス朝は政治的には全く振るわなかったが、
その反面文化的には最後の輝きを放ち、
学問や美術の進歩からパレオロゴス朝ルネサンスとも呼ばれた。
帝国の滅亡後その多くはイタリアに受け継がれ、
イタリアルネサンスに多大な影響を与えた。