[ヨーロッパ−近世]
スウェーデンのグスタフ2世アドルフとクリスティーナの2代に仕えた宰相。
主君グスタフの覇業を支えた名宰相で、主君と同様最高位の評価を得ている。
グスタフ即位の翌年に宰相となった。
グスタフは若年での即位であったが、
オクセンシェルナもグスタフより年上とは言え20代の若い宰相であった。
宰相となる前に、
多くの周辺諸国を敵に回したカルマル戦争において外交手腕を発揮し、
賠償金こそ払ったものの領土の保全に成功した。
その後は天才的であるが熱血短気な王を補佐し、
冷静な判断で王を支えた。
有名な逸話として、王がオクセンシェルナに
「人が皆そなたのようなら世界は凍り付いてしまう。」
と言ったのに対し、
「人が皆陛下ようなら世界が燃え尽きてしまいます。」
と返したというものがある。
両者の性格をよく表していると言えよう。
また軍事の天才であるグスタフ王に対し、
オクセンシェルナは主に内政・外交で手腕を発揮した。
リュッツェンの戦いで王が戦死した後は軍の采配をグスタフ=ホルンらの将軍に任せ、
自身は帰国して幼い王女クリスティーナを即位させ、
摂政団の筆頭として政務を取り仕切り混乱を回避した。
また王の穴を埋めるためフランス宰相リシュリューらと協議し、
フランスを直接介入させることに成功した。
しかし後年クリスティーナが成人するとカトリックとの融和を模索し始め、
プロテスタント諸侯の中心として対決路線であったオクセンシェルナは
疎まれるようになった。
やがて引退に追い込まれたオクセンシェルナは
ヴェストファーレン条約でスウェーデンが戦勝国となった後に死去した。
オクセンシェルナの逸話として、上記の王との対比の他に、
「ヨーロッパの政治家が同じ船に乗るとしたら
舵取りはオクセンシェルナに任せるだろう。」
というものがある。
彼がその手腕を最大限に発揮し国政を主導したのは
クリスティーナ女王の幼年期であったが、
最も当人が充実していたのはグスタフ王の時代であっただろう。
クリスティーナ女王には成人後疎まれたのに対し、
グスタフ王とは互いに長所を認め「英雄英雄を知る」
と言うように尊敬し合っていたと伝えられる。
グスタフ王死後のオクセンシェルナは
劉備死後の孔明や李世民晩年以降の李勣のような寂しさを感じていたかもしれない。