王郎(おうろう)

[中国−新]

新末の動乱期の群雄の一人。 本名は王昌だが後漢書で別名の王郎を多用したためかこちらの方が知られている。 河北で大勢力を誇り劉秀を苦しめたことで知られる。 元々占い師であったが、 長安で前漢成帝の落胤子輿を自称し殺害された者がいたことを聞き、 自分こそが子輿であると吹聴しだした。 この話を親交のあった漢の王族の劉林に持ち掛け、 赤眉軍侵攻の噂に苦慮していた劉林はこれを利用することにし、 王郎を担ぎ上げて瞬く間に一大勢力を築いた。 河北平定のため訪れていた劉秀一行は突然出現した大勢力によって危機に陥り、 賞金首にされたこともあり困窮の中逃亡生活を送ることになった。 しかし政略結婚で真定王劉楊を味方にし、 任光や劉植といった領主の支援もあって盛り返し、 上谷太守耿況・漁陽太守彭寵を味方にして精鋭の騎兵部隊を得たことで形勢を逆転させた。 邯鄲に追い詰められた王郎は一万戸の列候となることを条件に降伏を申し入れたが受け入れられず、 邯鄲は陥落し、王郎は逃走中に殺害された。

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