[モンゴル帝国]
チンギス=ハーンの三男で、2代目のハーン。
正妻ボルテの4人の子供の中で最も温和で、
人望があったため父が2代目に指名した。
若い頃から父の戦場で戦い、
ケレイト族との戦いでは瀕死の重傷を負ったが、
この時は四駿のボロクルに助けられている。
モンゴルの習慣で末っ子のトゥルイ以外は父から独立して所領を得たが、
モンゴル統一の時点で兄達と同じく四千の民を与えられた。
後ホラズム遠征で長男ジュチと次男チャガタイの対立が激しくなり、
オゴタイがしばしば調停したため彼が後継者に指名された。
父の死後、父の指名はあったものの、
大方の見方では弟のトゥルイの方が優勢であった。
しかし、トゥルイが国のために強く辞退したため
クリルタイで正式にハーンとなった。
以後、既に死去していたジュチを除く兄弟のチャガタイ・
トゥルイの協力で大帝国を統治することとなった。
彼の在世中大きな遠征は2つ。
1つは金への遠征で、1234年金を完全に滅ぼした。
もう1つはジュチの子バトゥを大将とする西征で、
東欧を制圧し全ヨーロッパを怖れさせた。
しかし、オゴタイ治世の最大の業績は内政の完備であろう。
統治の拠点として首都カラコルムを建設し、
国内に駅伝制(ジャムチ)
を整備して広大な国家の統治に必要な通信手段を確保した。
実務は部下がやったとしても、
偉大過ぎる父の跡を継いで父と異なる方法で国家を繁栄させた名君と言えよう。
しかし、酒を飲み過ぎる悪癖があり、在世12年で酒害で死去した。
孫のシレムンを後継者に考えていたが、突然の死によって後継者争いを招き、
モンケが即位するまでの内乱を招いてしまった。