ニザール派(ニザールは)

[中東−中世]

イスラム教シーア派の中の多くの派閥の一つでイスマイル派の分派。 その手段の過激さからアサシン派・暗殺教団とも呼ばれる。 元々はエジプトのファティマ朝での後継者争いでニザールを支援した人々だが、 ニザールの獄死後エジプトの外で勢力を拡大し、 中央アジアからシリアに至る範囲の特に山岳地帯で独立勢力となった。 当時覇権を握っていたセルジューク朝はスンニ派であったためそれを弾圧したが、 宰相ニザーム=アル=ムルクが暗殺され (ニザール派によるものとされる) 、 次いでスルタンのマリク=シャーも没するとセルジューク朝は衰え、 ニザール派は確固たる基盤を築いた。 敵対者に対しては暗殺を多用したため、別名暗殺教団とも呼ばれるようになった。 その際、麻薬を使う「山の老人」の伝説が生まれたが、 実際は現在の自爆テロに近い志願者による公衆の面前での暗殺だったようである (しらふで殺るのだから伝説よりタチが悪いか)。 イランのハサニ=サッバーフやシリアのラシード=ウッディーン=スィナーンといった 指導者によって周囲に恐れられる大勢力となった。 特にスィナーンは「山の老人」のモデルとされ、サラディンと互角に戦い 十字軍のモンフェラート候コンラートの殺害を指示した猛者である。 しかし、フラグ率いるモンゴル軍によって中核のアラムート政権が倒され、 シリアでもマムルーク朝のバイバルスによって降伏に追いやられ 政治勢力としては滅亡した。 宗派自体は現在も存続している (無論現在では暗殺教団ではない)。

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