ニカの乱(ニカのらん)

[ビザンティン帝国]

ビザンティン帝国ユスティニアヌス大帝の統治初期に、 首都コンスタンティノープルで起こった大規模な反乱。 コンスタンティノープルには大きな戦車競技場があり、 保守派の「青」と革新派の「緑」の2つの党派に分かれて運営されていた。 しかし、532年のある日、 日頃から皇帝の統治に不満を持っていたと思われる両派の市民が競争の熱狂の中団結し、 そのまま暴動へと発展した (現在でもサッカー場で時々似たことが起こる)。 暴徒はそのまま反乱軍へと発展し、皇帝自身も生命の危険を感じるまでになった。 ユスティニアヌスは一旦首都から落ち延びて態勢を立て直そうとしたが、 皇后テオドラに叱咤激励されて思い止まり、将軍ベリサリウスを鎮圧に当てた。 ベリサリウスは軍勢を率いて反乱軍を競技場に押し戻し、 そこで虐殺して (最も過激な方法で) 反乱を鎮圧した。 この反乱でアヤ=ソフィア大聖堂を始め、 コンスタンティノープルの多くの部分が焼け落ちたが、 後により大規模な形で再建された。 ドーム付きのアヤ=ソフィア大聖堂はこの時建造されたものである。 この乱の鎮圧後、ユスティニアヌスは本格的な対外征服に乗り出すのであるが、 ローマから受け継がれた皇帝でも容赦しないコンスタンティノープル市民気質は、 後の時代にも受け継がれていった。 口さがない京雀より過激である。

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