[ヨーロッパ−近代]
フランス第一帝政の元帥。
「勇者の中の勇者」と呼ばれた猛将。
ザール地方(現ドイツ領)で兵役経験のある樽職人の次男として生まれた。
当初は公証人を目指すものの、ユサール(軽騎兵)連隊に兵士として入隊し、
フランス革命の中で頭角を現した。
主に北部・東部でプロイセンやオーストリアと戦い、昇進を重ねて師団長に昇進した。
またナポレオンの妻ジョゼフィーヌの紹介で結婚し、ナポレオンの知己となった。
ネイ自身は前線で勇戦する猛将であったが、後に軍事理論家として知られるようになるジョミニを重用し、
司令官としても活躍した。
ナポレオンが皇帝になると元帥に選ばれ、
第6軍団を率いて各地を転戦した。
オーストリアやプロイセン相手の戦いで活躍しエルヒンゲン公爵となったが、
スペイン戦線では上官のマッセナと対立しそれが苦戦の原因の一つとなった。
ロシア遠征では第3軍団を率い、特に退却の際には殿軍を務めて勇戦し、
「勇者の中の勇者」の名声とモスクワ大公の称号を得た。
その後もドイツ方面で転戦したが、
パリが陥落すると同僚達と共にナポレオンに退位を進言した。
またこの頃ジョミニが参謀長ベルティエとの軋轢のためフランス軍を離れロシアに仕官している。
王政復古後はルイ18世に忠誠を誓い、ナポレオンのエルバ島脱出時には
「ナポレオンを鉄の檻に入れて引っ立ててくる」と豪語したが、
将兵がナポレオンに靡くと抗しえずナポレオンに従った。
ワーテルローでは采配を任されたもののジョミニのような有能な副官無しでは精彩を欠き、
支援無しの突撃を敢行して軍を壊滅させた。
敗戦後フーシェに亡命を提案されるものの断り、ルイ18世によって逮捕された。
そして同僚による軍法会議による裁きを拒み、あえて上院議員の資格で上院による裁判を受け、
反逆罪によって銃殺された。
同僚であったミュラも銃殺されたが、彼らの処刑はルイ18世の私怨によるものと言われている。
ネイはナポレオン配下の中でも武勇に優れ、特に防衛や退却戦での粘り強さを身上としていた。
一方同じように勇者と呼ばれたランヌと異なり大軍の運用は苦手で、
特にワーテルローでは無謀な突撃で大敗の原因となってしまった。
ただしネイ自身も自分の弱点は理解しており、
参謀長ベルティエの反対を押し切ってジョミニを重用していたが、
ワーテルローまでに彼の欠けた穴を埋めることは出来なかった。
(ワーテルロー戦は他にもナポレオン陣営の人材不足が目立った。)
またナポレオンのエルベ島脱出時に大言壮語して捕えるべく出立したものの、
結局ナポレオンには逆らえずに帰属し、ルイ18世ら王党派に裏切者として恨まれることとなった。
最後の裁判では保身のためか処刑に賛成する元同僚も多かったが、
元部下のジョミニや親交のあったダヴー・サン=シール・スーシェなど、助命すべく奔走した者もまた多かった。
(ちなみに親交していた彼らやランヌは皆元帥の中でも能力・人品共に評価が高い。)
武勇と人望で部下には慕われており、現代でも人気のある軍人である。