[ヨーロッパ−近世]
イングランドの数学者・物理学者。
物理学のニュートンの法則で有名だが、微積分法を発見した三大数学者の一人でもある。
イングランド東部リンカンシャーの寒村で名士の息子として生まれたが、
父はニュートンが生まれる前に死去している。
また幼少時に母が再婚によって別れ、祖母に育てられた。
母が教育熱心でなかったこともあって学校を退学したこともあったが、
野良仕事そっちのけで勉学に熱中したため、
復学して後にケンブリッジ大学のトリニティ=カレッジへ進学した。
ここで小間使いをして学費を免除されていたため、
学費を自費で払う金持ちの同級生と打ち解けなかったと伝えられる。
ロンドンでペストが流行したため一時大学が閉鎖され、
ニュートンも故郷へ帰省した。
その1年半の休暇の間にプリズム分光の実験、万有引力の発見など重要な業績を挙げた。
復学後に微積分法を発表したが、ドイツのライプニッツとほぼ同時であったっため、
どちらが先に発見したかを巡って泥沼の法廷闘争を繰り広げた。
結局微積分法はニュートンとライプニッツがそれぞれ独自に発見したとされた。
数学の名誉職であるルーカス教授職となり、
ニュートンの二大著作である「光学」「自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)」
を相次いで執筆した。
その後大学への王の干渉を切っ掛けに政治に関わるようになり、
造幣局長官にまで上り詰めた。
造幣局長官としては贋金作りを激減させる功績があったが、
反面投機に失敗したり銀の価値を見誤るといった失策もあった。
さらに晩年には錬金術(化学でないオカルトの方である)にのめり込み、
死去するまでに前半生の科学者像からかけ離れた姿となってしまった。
ニュートンは後半生に汚点を残し、自然科学以外の哲学などにも著作があるが、
この時代最も重要な物理学者・数学者としてなを残している。
特に重要なのが「ニュートンの運動法則」や万有引力などの力学の基本原理の発見である。
これは基本原理の地位こそ相対性理論・量子力学に譲っているが、
今でも日常レベルの現象を表す重要な原理としての地位を保っている。
微積分はライプニッツと同時期に発見したが、
後世の発展はライプニッツの発見をベースに大陸で行われた。