ネロ

[ローマ帝国]

ローマ帝国第5代皇帝。ユリウス=クラウディウス朝最後の皇帝。 暴君の代表と言われ、「母から生まれた史上最悪の存在」とまで言われる。 皇帝クラウディウスの皇妃小アグリッピナの連れ子で、皇帝の養子となった。 その後母が夫である皇帝を暗殺してネロが即位した。 ちなみにこの母は兄カリグラと姦通したトンでもない女である。 即位からしばらくは哲学者で師のセネカの後見の下で平穏な治世であったが、 先帝クラウディウスの実子ブリタニクス、母アグリッピナを殺害し、 暴君の道を歩み始める。 以下暴君ぶりを辿ってみると、 妻オクタウィアと離縁し、悪友オトの妻ポッパエアを奪い、 オトをルテティア総督として遠ざけた。 ギリシア文化に過度に耽溺し、自ら聴衆の前で竪琴を演奏し、競技会で優勝を総なめにした。 (実力はほどほどだったらしいが、彼は泣く子も黙るローマ皇帝である。) ローマで大火が起こったが、その後重税を課して豪勢な宮殿を建てた。 また宮殿のためにネロがわざと放火したとの噂が立つと、 キリスト教徒に罪を擦りつけ、12使徒の一人ペテロを始めとするキリスト教徒を公開処刑にした。 また師匠のセネカも元老院ピソの陰謀の時処刑してしまった。 ただ対外的には名将コルブロらの働きにより対パルティア問題を解決したり、 ブリタニアの反乱を鎮圧したりと成果を上げた。 しかしそのコルブロを自害させると、ガリアを手始めに各地で反乱が起こり、 元老院・ローマ市民、果ては近衛軍団にも見捨てられ、自害に追いやられた。 ネロの死後、ローマは崩壊の危機を迎えることになる。
ネロは暴君の代表とされるが、叔父カリグラや後のコンモドゥス・カラカラ・エラガバルス等 に比べて特別すごいということは無い。 にもかかわらずネロが槍玉に挙げられるのは、 一つはネロによってローマが存続の危機を迎えたこと、 もう一つはキリスト教徒、特にイエスの愛弟子のペテロを処刑したせいだろう。

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