ナポレオン戦争(ナポレオンせんそう)

[ヨーロッパ−近代]

フランスでナポレオンが政権を掌握していた時代の戦争の総称。 一般に1803年のイギリスによるアミアンの和約の破棄から 1815年のワーテルロー敗戦によるナポレオンの完全失脚までの戦役を指す。 アミアンの和約によって一時的な平和が訪れたが、 フランスによって大陸市場から締め出されたイギリスで不満が高まり、 和約は破棄され再び戦争状態に陥った。 フランスによるイギリスへの上陸はトラファルガーの海戦で阻止されたが、 陸上では徴兵による国民軍を率いたナポレオンは連戦連勝であり、 オーストリア・ロシアに勝利して神聖ローマ帝国を解体し、 ナポレオンはヨーロッパの覇権を手に入れた。 フランスの衛星国としてドイツにライン同盟が成立するとプロイセンが敵に回ったが、 これにも勝利し滅亡したポーランドをワルシャワ公国として復活させた。 しかしスペインの内紛に介入するも泥沼化して国力の疲弊を招き、 イギリス封じのための大陸封鎖令によって再びロシアとの関係が悪化、 ロシアに遠征するも焦土戦術の前に敗北した。 この敗北によって諸国が一斉に蜂起し、 ナポレオンは退位に追い込まれた。 戦後処理の混乱を見てナポレオンは再起を図ったが、 これもワーテルローの敗北によって潰え、 ナポレオンの失脚と共に一連の戦役は終焉を迎えた。
ヨーロッパ諸国では覇者ナポレオンを生み出した革命思想への反発から ウィーン体制と呼ばれる復古主義体制が成立したが、 既に革命思想は世界中に広まり、 後の民主主義・民族主義を基盤とする市民革命の温床となった。
なおフランスは人口が多くヨーロッパで圧倒的な強国であったが、 一連の戦争で人口が減少してドイツなどに追いつかれ、 列強のなかの一国にまで地位が下がることになった。 代わって海外植民地を多く持つイギリスが次代の覇者の地位を得ることとなった。

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