[ヨーロッパ−近代]
フランス第一帝政の元帥。
ナポレオンの妹と結婚して義弟となり、後にナポリ王ジョアッキーノ1世となった。
旅籠屋兼不動産管理人の末子として生まれ、当初は神学校に通ったが、
適性が無く女性と駆け落ちの末放校された。
無一文で放浪中に騎兵中隊に飛び入り入隊し、軍曹まで出世した後故郷で小間物屋となった。
故郷では風采が良く人気者で、名を知られた存在となった。
軍に復帰すると優れた騎兵指揮官としてここでも人気者となり、兵士の選挙で士官に選出された。
やがてヴァンデミエールの反乱で大砲奪取の任務を成功させてナポレオンの目に留まり、
以後ナポレオンの下で勇猛な騎兵士官としてイタリア遠征やエジプト遠征で活躍した。
さらにナポレオンの妹のカロリーヌと結婚し、ボナパルト家の一員となった。
さらに昇進してナポレオン皇帝即位の際には元帥、さらにベルク大公、ナポリ王となったが、
栄達に反して司令官としての采配には鈍りが見られるようになった。
夫婦そろって権勢欲が強く、ナポレオンへの忠誠よりも保身を優先するようになり、
ロシア遠征失敗後は独自の外交交渉でフランスから離反した。
しかしウィーン会議では王位が剥奪され、
ナポレオンがエルバ島を脱出すると独断でオーストリアと戦って敗れ、
ナポレオンの下に逃げ込むものの怒りを買って士官を断られと散々な結果となった。
最後はワーテルローの戦いの後起死回生を図って挙兵するが、
勝てるはずもなく逮捕、処刑された。
ミュラは騎兵指揮官としては非常に優秀で、大胆不敵かつ威風堂々として美丈夫の人気者であった。
しかしそれ以外、特に立身出世を果たした後の大軍を率いる司令官・君主としての能力は凡庸で、
統率力も戦略能力も政治力も欠けていた。
そのためかつての騎兵のエースであった騎士気取りの伊達男は見る影もなくなり、
戦場での功績も上げられず迷走の果て処刑されるに至った。
欲をかいて出世し過ぎたことか、自分の能力を把握できていなかったことが悲劇の原因であろう。
ちなみに神学校以来の友人で同じ騎兵士官であったべシェールとは仲が良かったが、
真面目なランヌやダヴーからは俗物として嫌われていた。