[ヨーロッパ−近世]
オーストリアの作曲家で、
ハイドン・ベートーヴェンと共に古典派三大巨匠と呼ばれる。
音楽家の息子として生まれ、幼少時より音楽の才能を見出され、
ヨーロッパ各地を巡業しながら演奏の才能を披露し、
また合間に作曲も行った。
6歳時にウィ―ンで皇帝一家の前で演奏を行い、
皇女マリア=アントーニア(後のマリー=アントワネット)
に求婚したという逸話がある。
各地で才能を称賛されたが経済的に苦しみ、
ウィーンに流れてフリーの音楽家となった。
結婚をして順調に作曲活動を行っていたが、
父の死の前後からやはり経済的に苦しみ借金生活を続けた。
当時はまだフリーの音楽家が生計を立てるのは難しい環境であったが、
加えてモーツァルト自身品行が悪く浪費癖があったため家計はさらに悪化した。
オペラ「魔笛」を書きあげた頃から体調が悪化し、
「レクイエム」を書いている途中で死去した。
モーツァルトは幼少時から才能を発揮し、しばしば天才と呼ばれる。
「下書きをしない天才」と呼ばれることもあるが、
実際には推敲をした形跡が残っている。
だが作曲が速かったのは事実であり、
短い生涯の間に900曲以上の作曲を行った。
早世した上、経済的困窮から共同墓地に埋葬され、
墓の位置もわからないことも神秘性を醸し出すことに一役買っている。