ライモンド=モンテクッコリ

[ヨーロッパ−近世]

オーストリアの名将。 北イタリアのモデナの下級貴族出身。 神聖ローマ帝国に士官して伯父エルンスト伯の配下となった。 三十年戦争では士官として従軍し、二度捕虜となるものの転戦を重ね、 順調に昇進していった。 三十年戦争末期には将軍・軍事参議官となり、 トランシルヴァニア・スウェーデン・フランスと戦った。 三十年戦争終結後も外交および軍事面で働き、 オスマン軍に勝利した功績で神聖ローマ帝国軍総司令官・軍事参議院議長となった。 ルイ14世によるネーデルラント継承戦争・オランダ侵略戦争では 司令官としてフランスのテュレンヌと戦い、一進一退の攻防を続けた。 テュレンヌが戦死しコンデ公ルイが引退した年にモンテクッコリも引退し、 以降の余生は研究に費やされた。
テュレンヌ・コンデ公ルイと並ぶ名将で、 特にオランダ侵略戦争でウィレム総督と合流してボンを陥落させ、 フランスを撤退させた過程は機動戦略の模範とされた。 それにしてもボヘミアのヴァレンシュタイン、イタリアのモンテクッコリ、 フランスのプリンツ=オイゲンと、オーストリアの名将はオーストリア外の出身者が多い。 これもお国柄だろうか。

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