大モルトケ(だいモルトケ)

[ヨーロッパ−近代]

ドイツの軍人。 ドイツ統一三傑の一人で参謀総長としてプロイセン軍を勝利に導き、 ドイツ帝国成立に貢献した。 フルネームはヘルムート=カール=ベルンハルト=フォン=モルトケであり、 甥と区別して大モルトケと呼ばれる。 北ドイツのメクレンブルクで生まれ、 父に従ってデンマークと同君連合であったホルシュタイン公国に移り住み、 父同様デンマーク軍人となった。 しかしナポレオン戦争の結果ノルウェーを失って軍の規模が縮小し 出世の見込みが薄いデンマークに見切りをつけ、 プロイセンに移籍し陸軍大学を卒業し参謀将校となった。 一時軍事顧問としてオスマン帝国に派遣されたが、 対エジプト戦争で将軍がモルトケの意見を取り上げず敗戦を経験した。 帰国後は参謀の他王族の侍従武官などを務めた後に参謀総長に任じられたが、 当時の参謀本部は地位が低く、 軍を仕切っていた軍事内局局長マントイフェルに比べて目立たない存在であった。 モルトケはいたずらに権力を求めたりはせず、 当時の新技術である鉄道と電信を活用すべく軍の改革を行った。 対デンマーク戦争が始まっても当初は蚊帳の外に置かれていたが、 デンマーク軍の撃破に失敗し司令官が交代すると参謀長として作戦に加わった。 デンマークをよく知るモルトケは敵主力の撃破に成功し、 デンマーク王を戦意喪失させて領土割譲を引き出した。 戦後マントイフェルがビスマルクと対立して左遷されたこともあり、 軍はモルトケが仕切るようになっていった。 普墺戦争・普仏戦争では事実上の司令官として全軍を指揮し、 鉄道と電信を利用した大規模な機動と包囲戦術を駆使して勝利した。 普仏戦争中に伯爵に叙され、戦後さらに元帥・貴族院終身議員となり位人身を極めたが、モルトケ自身は高齢から辞任を申し出るも慰留され30年参謀総長の地位に留まった。 皇帝が死去しヴィルヘルム2世が即位するとそれを機会に辞任し、 間もなくベルリンで死去した。
大モルトケは鉄道や電信といった新技術を本格的に活用し 近代戦術を編み出した優れた軍人であるが、 権勢欲には乏しく生涯職業軍人に徹した。 陸軍大学時代から教養は深く軍事以外にも通じていたが、 無口で小食でドイツ統一の前面に出るまでは目立たない存在であった。 おしゃべりで大食なビスマルクとはウマが合わなかったが、 職務では協力し、意見が対立しても互いに相手の職分を犯すことはしなかった。 軍人ではあるのだが厳つさに欠けあまり軍人らしくない雰囲気であり、 むしろ東洋の「軍師」のような人物に見える。

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