[ヨーロッパ−近世・近代]
フランス革命期の政治家。「政略のミラボー」と呼ばれる。
正式名称はミラボー伯爵オノーレ=ガブリエル=ド=リケッティ。
侯爵の次男として生まれ、幼少時に天然痘にかかり顔に斑点が残った。
大学で法学を学んだ後軍に入隊したが、借金を抱え父を怒らせ、
さらに債権者から逃れさせるため幽閉されていた。
幽閉中も執筆をしており、高い学識と放蕩ぶりで庶民の間でも有名であった。
三部会が招集されると、第二身分の資格があったミラボーだが、
第三身分の議員にも選ばれ、敢えて第三身分の方で出席した。
議会では中心的存在となり、
三部会を離れて国民議会を開いた際にも主導的立場の一人となっていた。
ラファイエットらと共に立憲君主制を目指していたが、
その絶頂期に突如病死し、革命が変質する切っ掛けとなった。
死後、国王との結びつきや賄賂の存在が暴露され、
名声が地に落ちることとなった。
一方国王との結びつきが強かったミラボーの死によって王室は不安を抱くようになり、
ヴァレンヌ事件、さらに王・王妃の処刑を招くこととなった。
賄賂も厭わないダーティな汚職政治家ではあったが、
高い手腕と人脈は穏健な革命に必要な人物ではあった。
劉邦が陳平を必要としたように本来の革命にはミラボーが必要だったのであろう。
ミラボーの死によって革命は暴走することとなった。
ちなみに汚い手口と高い手腕は後のタレーランを彷彿とさせる。
だが節操無に見えるタレーランよりは信念があったように見える。
単に早死にのため転向する機会が無かっただけかもしれないが。