源義経(みなもとのよしつね)

[日本−平安時代・鎌倉時代]

源氏の当主の子として生まれるが、父の死によって僧籍に入れられる。 その後奥州に渡り藤原氏の下で成人したと言われている。 兄頼朝が挙兵するとそれに従い、 戦場でその天才的な戦術家としての才能を発揮する。 木曽義仲や平家との戦いに次々と勝利し、壇ノ浦で平家を滅ぼす。 しかしその後義経の才を恐れる頼朝との関係が悪化、 戦術家としては一流だが政治の才能のまるでない義経は逃亡を繰り返し、 奥州にまで流れ着き、藤原氏の当主秀衡の庇護を受ける。 が、秀衡の死後頼朝を恐れる泰衡によって自害させられる。
義経は戦場では常識を破る奇策を駆使し勝利を重ねた天才である。 膂力は弱かったが、それは大した問題ではない。 政治家としてはまるで甘く、身の破滅を招いた。 しかし、なまじ政治謀略に長けていない故に庶民に好感を持たれ同情を受け、 判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉を生んだ。 尚、「ほうがん」と呼ぶのは義経だけであり、 特別扱い(正に判官贔屓)されている。

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