ミケランジェロ

[ヨーロッパ−近世]

ルネサンスを代表する芸術家。 同じくルネサンスを代表するレオナルド=ダ=ヴィンチやラファエロと異なり 彫刻が中心であるが、システィーナ礼拝堂の壁画など絵画でも大作を残している。 フィレンツェ郊外の生まれで、 最初はフィレンツェで画家ドメニコ=ギルランダイオに弟子入りし、 さらに師の薦めでロレンツォ=デ=メディチの後援の下腕を磨いた。 ロレンツォの死後メディチ家からの支援が打ち切られたため、 ボローニャ、次いでローマで活動した。 その後はフィレンツェの共和国政府の依頼で「ダビデ像」を制作したりもしたが、 主にローマで特に教皇の依頼で仕事をするようになった。 システィーナ礼拝堂の壁画は、当初「自分は彫刻家だ」と言って断ったが、 教皇の強い依頼で引き受け、ルネサンス期を代表する絵画の大作となった。 ラファエロは早世したが、ミケランジェロは90歳近くまで生き、 建築主任をしていたサン=ピエトロ大聖堂の建設途中で亡くなった。
ミケランジェロは仕事に取り掛かるまでは遅かったが、 一度取り掛かると仕事は速かったと言われる。 また頭に血が上りやすい性格で、教皇相手でも遠慮しなかったり、 ダ=ヴィンチと大人気ない対立をしていたと伝えられる。 さらに共和制の信奉者だったようだが、 彼の意に反してイタリアはイタリア戦争の結果スペインが覇権を握り、 故郷のフィレンツェも専制君主が治めるトスカーナ大公国となった。 また自身も教皇領の君主と言える教皇に長く仕えることとなった。

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