メフメト2世

[オスマン帝国]

オスマン帝国の第7代の君主。 コンスタンティノープルを始め多くの領土を征服したため 「征服者 (ファーティフ)」と呼ばれた。 父ムラト2世にはスーフィー (神秘主義の修行者) 願望があり、 幼い頃一度即位したが子供では何も出来ず父が復位したことがあった。 自身の成人後に父が死去すると兄弟を殺害して即位した。 即位後早速アナトリアのカラマン君侯国と戦って勝利し、 さらにコンスタンティノープルを征服してビザンティン帝国を滅ぼした。 以後オスマンはコンスタンティノープルに首都を移し ここを中心に発展することとなった。 その後もバルカン半島のキリスト教国とアナトリアのトルコ系君侯国と戦って勝利し、 その大部分を征服した。 さらに黒海北岸のクリミア=ハン国を服属させ、黒海の覇権も握った。 この一連の征服により、 オスマンは普通の大国から覇権を握る大帝国へと変わったのである。 晩年は南イタリアに進出したが、こちらの制服はメフメトの死により中止された。
メフメトはそのあだ名の通り領土を大幅に広げた征服者であったが、 同時に優れた文化人でもあった。 自身トルコ語以外にアラビア語やペルシア語を使えるイスラム教養人であったが、 その枠に収まらずイタリア人の芸術家との親交し、 また自らルーム=カエサリ (ローマ皇帝) として振舞うなどしていた。 一方ワラキアのヴラド3世 (ドラキュラ) やアルバニアのスカンデルベクなどの 英雄 (ヴラドは化物にされてしまったが) と戦ったスルタンでもある。 彼ら英雄も、メフメトが征服を進めたためそれに対抗し、 結果として英雄となったと見ることもできる。

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