ジュール=マザラン

[ヨーロッパ−近世]

フランスの政治家・聖職者。 ルイ14世幼少期の事実上のフランス宰相でもある。 元はイタリアのピッシーナの生まれで名はジュリオ=マッツァリーノ。 庶子であったとも言われるが、聖職者となり能力を認められ教皇に仕えた。 マントヴァ継承戦争において、 単騎でリシュリュー率いる部隊の前に現れ停戦を呼びかけたとも言われる。 後に教皇特使としてフランスに派遣され、そこでリシュリューの知遇を得た。 さらにフランスに帰化し、さらに王ルイ13世の推挙も得て枢機卿となった。 リシュリューによって後継者に指名され、 リシュリューとルイ13世が相次いで死去すると 太后アンヌによりルイ14世の教育係に任命された。 ちなみに王の母アンヌとの仲は良好で、秘密結婚をしたとまで噂された。 マザランの統治はリシュリューの方針を継承し、 三十年戦争を続行し終戦時に領土を拡大、 またスペインと戦ってピレネー山脈以北の領土も獲得した。 ただ重税によってフロンドの乱を招いたが、 これを鎮圧し結果として貴族を弱体化させ絶対王政の地盤均しとなった。 マザランの死後ルイ14世が親政を開始、絶対王政を確立させることとなった。
マザラン自身は独身で子はいなかったが、 妹が生んだ5人の姪が事実上の娘代わりとして政略結婚に利用された。 その中の一人オリンピアの子の中にオーストリアの名将プリンツ=オイゲンがいる。

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