[ヨーロッパ−中世]
中世のハンガリー王。「大王」「正義王」と呼ばれる名君である。
本名はフニャディ=マーチャーシュで、
マーチャーシュはフニャディ家紋章のカラスに由来するあだ名。
トランシルヴァニア公フニャディ=ヤーノシュの次男として生まれる。
父の死後間もなく兄ラースローが内乱により処刑され、
マーチャーシュが跡を継いだ。
マーチャーシュには外国人の王や大貴族と対立する中小貴族の支持が集まり、
17歳でハンガリー王に選出された。
王となったマーチャーシュは下層階級からの人材登用、
鉱山技術の改良、マーチャーシュ教会の増築を始めとする文化政策などにより、
ハンガリーに最盛期をもたらした。
一方対外的には強大なオスマン帝国との対立を避けて反対側のボヘミアに進出し、
ウィーンを陥落させてオーストリア大公に選出された。
またオスマンとの対立を避けるため、
亡命してきたヴラド3世を幽閉し、
そのことを正当化するためヴラドの悪評をばら撒いた。
ドラキュラ伝説に繋がる串刺し公の評判は大部分が
この時のプロパガンダによるものである。
一方でヴラド自身には妹を娶らせこっそりと優遇し、
後にワラキア公復位への支援をしたりもしている。
ただしヴラドが直後に殺害された後はワラキア方面にはあまり手を出していない。
オーストリア大公にもなったマーチャーシュは
次に神聖ローマ皇帝の地位を狙っていたようだが、
その前に急死した。
マーチャーシュの死後ハンガリーは以前の混乱状態に戻り、
36年後にはモハーチの戦いでオスマン帝国に破れ、
実質滅亡同然になってしまった。
マーチャーシュはハンガリーの最盛期を現出させた名君である。
ヴラド=ツェペシュの悪評をばら撒いて
間接的にドラキュラ伝説を生み出した人物であるが、
マーチャーシュ自身も伝説的存在となっている。
伝説ではマーチャーシュは水戸黄門同様国内をお忍びで旅してまわり、
豪傑キニジ=パールも旅の最中に従えたことになっている。
人の悪評を広めておいて(最も自業自得な面もあるのだが)
自分は正義のヒーローとはズルイ気もするが、
これも為政者としての優れた手腕を持ち民衆に慕われた証と見るべきだろう。
はっきり言ってヴラドより大分年下だが手腕は格上である。