アンドレ=マッセナ

[ヨーロッパ−近代]

フランス第一帝政の元帥。 度々方面軍司令官を務めた名将。 南仏ニースの貿易商の子として生まれ、 幼くして孤児となって石鹸製造業を営む叔父に育てられた。 しかし家出して武装商船(実質海賊)の船員となり、 それをやめた後は一兵卒として陸軍に入隊した。 しかし貴族でないマッセナでは下士官までしかなれず、 除隊して密輸業者となった。 革命勃発後に軍歴を買われて再入隊し、 主にイタリア方面で功績を挙げて士官、さらには将軍にまで昇進した。 ナポレオンがイタリア方面軍司令官として赴任すると、 その配下の師団長としてイタリア遠征でさらに功績を挙げた。 ナポレオンのエジプト遠征中はスイス方面軍司令官として ロシア・オーストリア連合軍と戦って名声を高めた。 帰国したナポレオンがクーデターを経て執政となると イタリア方面軍司令官に転任したが、 ここでは劣勢で苦戦し、ジェノヴァで包囲された上降伏した。 その後ナポレオンはマレンゴの戦いで勝利したが、 マッセナは一時軍を離れ、議員を務めた。 ナポレオンが皇帝に即位すると元帥として軍務に復帰し、 再度イタリア方面軍司令官となった。 さらにナポレオンの兄ジョゼフがナポリ王となるとナポリ軍の指揮権を与えられ、 さらに功績からリヴォリ公爵に叙勲された。 第五次対仏大同盟との戦いではオーストリア相手に善戦し、 エスリンク大公爵に叙せられた。 しかしその後ポルトガル方面軍司令官として対スペイン戦争に参加したが、 こちらではイギリス軍相手に苦戦し、敗退を繰り返して解任され、 マルセイユ司令官に降格となった。 王政復古、その後のナポレオン百日天下でもマルセイユ司令官を務め続け、 前線に立つことは無かった。 ワーテルローでのナポレオンの敗北後は 王政を支持しなかったため司令官を解任され、 最後はパリで死去した。
マッセナは猪子武者が多いナポレオン配下の中でも数少ない 独自の戦略が立てられる将で、 別動隊を率いて度々功績を挙げた名将である。 特に危機に陥ったときの粘り強さはナポレオンにも評価された。 一方、武装商船(という名の海賊) に加わったり密輸業を営んでいただけあってガラが悪く、 特に金と女に汚いことで当時から有名であった。 その率いる軍も度々略奪を行って非難されており、 大公爵の肩書とは裏腹に山賊の頭目のような男である。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る