マリー=アントワネット

[ヨーロッパ−近世・近代]

フランス王ルイ16世の王妃。 オーストリアの皇帝フランツと女帝マリア=テレジア夫妻の娘 マリア=アントーニアとして生まれ、 特に母に可愛がられて育った。 長じてフランスとの外交関係改善のため王太子と政略結婚し、 フランス語名のマリー=アントワネットと呼ばれるようになった。 元々フランスとオーストリアは犬猿の仲であったことに加え、 王の寵姫であったデュ=バリー夫人と対立したため、 あまり居心地の良い環境では無かったようである。 そのため仮面舞踏会や賭博などの浪費に熱中し、 後世の悪名の下地を作ったが、 子供が生まれてからは自重するようになった。 フランス革命が勃発すると多くの貴族は亡命し、 国王一家はテュイルリー宮殿に軟禁された。 オーストリアの皇帝である兄を頼ろうと逃亡を図ったが、 途中で露見して捕まり、以後親国王派からも見放されることとなった。 やがてテンプル塔への幽閉を経て夫ルイ16世は処刑され、 マリーも捏造された近親相姦の罪状などで処刑された。
マリーはかつて贅沢な浪費によってフランス革命を引き起こした 悪女と見られていたが、 現在では全く浪費しなかったわけではないものの 大半がデマであることが判明している。 ただし当時のフランス国民にとってはオーストリアと通じた 言わば利敵行為の方が重大だったようで、 元宿敵との政略結婚故の悲劇であったとも言える。 実際のマリーは世間のイメージに反して存外家庭的な嗜好の人だったようで、 夫のルイ16世と同様、時代の犠牲者だったと言えよう。

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