マルクス=アウレリウス=アントニヌス

[ローマ帝国]

五賢帝の最後の一人。本名マルクス=アンニウス=ウェルス。哲人皇帝として知られる。 ハドリアヌスにその才能を見出され、 先帝アントニヌス=ピウスの養子となり、帝位を継ぐ。 ローマ皇帝として辺境での軍事行動の傍ら哲学者として「自省録」を著す。 哲学者として過ごしたい彼の意に反し、彼の代に周辺民族の侵攻が相次いだ。 彼は皇帝として各地で軍勢を指揮し、 最後はドナウ川沿いのウィンドボナ(ウィーン)で陣没した。 彼の後を継いだのが「グラディエーター」 で暗君として有名になってしまったコンモドゥスである。
彼自身は有能な哲学者であり、ハドリアヌス・ピウス両皇帝も認める手腕の持ち主でもある。 しかし、敵対する周辺民族もローマに対抗できるだけの力をつけてきたことにより、 彼の代からローマ帝国の衰退が始まってしまった。 また、政治的力量はともかく、 哲学者である彼は軍事手腕に対しては有能とは言えなかったようである。 実は采配は部下にやらせた方が良かったという話もある。 トラヤヌスのように異民族を押し返して逆に征服することはできなかった。 また、息子コンモドゥスを後継者としたが、彼の死後この息子が暗君と化してしまったため、 後世の名声に傷をつけてしまった。 しかし、コンモドゥス死後の混乱を収めたセプティミウス=セウェルス を見出したのはマルクス帝である。 一概に人を見る目が無かったとは言えまい。 有能な皇帝・哲学者でありながら彼からローマの衰退が始まったのは、 不運以外の何者でもあるまい。 しかし、そのことがかえって後世の同情を誘い、判官贔屓を招いているのも確かである。

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