[ヨーロッパ−近代]
フランス革命期の政治家。
ロベスピエール・ダントンと共にジャコバン三巨頭と呼ばれた。
スイスの中流家庭に生まれ、各地を遊学の後ロンドンで医者になった。
そしてフランス王家に招聘され、王弟アルトワ伯の下で働いた。
しかしその立場に反し反体制的な思想を持ち、
フランス革命勃発後に新聞「人民の友」を発行し、
過激な政府批判で主に下層民の支持を集めた。
一時は発刊禁止処分を受けるもコルドリエ=クラブ、
後にジャコバン派の一部と合併した山岳派に属し、
得意の過激な言動でジロンド派を攻撃し、三巨頭と呼ばれる大物の一人となった。
しかし、ジャコバン派政権が発足するころに持病の皮膚病が悪化し、
専ら自宅に籠って入浴療養をしていた。
そして面会に訪れたジロンド派支持者の
シャルロット=コルデによって暗殺された。
ロベスピエールに匹敵するジャコバン派恐怖政治の立役者であるが、
政権奪取後に病気療養しすぐに暗殺されたため、
政治家としての業績はそれ程でもない。
生前は「人民の友」の(現代の極左のような)過激な言動で、
そして死後は主に若い美女であるシャルロット=コルデ
(暗殺の天使とも呼ばれる)に暗殺されたこと
およびそれを描いたダヴィッドの絵画で有名である。