マムルーク

[中東−中世〜近代]

イスラム圏の非黒人の奴隷出身兵士。 イスラム教はイスラム教徒を奴隷にすることを事実上禁止しているため、 奴隷は周辺の非イスラム教徒に対する戦争によって獲得していた。 イスラムの奴隷は他の奴隷に比べると比較的権利が認められ、 奴隷を解放して己の家臣にする習慣もあった。 こうした元奴隷の内、黒人以外で戦士になったのがマムルークである。 このマムルークはやがて一大勢力となり、時に政権を動かすこともあった。 最初に勢力を築いたのはトルコ系 (テュルク系) 遊牧民である。 彼らはその騎兵としての能力、特に騎射の能力で重用され、 やがてマムルークから将軍、やがてはスルタンになるものも出た。 アフガニスタンのガズナ朝はマムルーク出身者の建てた王朝であるし、 インドの奴隷王朝、エジプトのマムルーク朝は 何れもトルコ系マムルークによって建国されたことから名づけられた。 後に遊牧民にイスラム教が広まると奴隷の供給源としては不適当となり、 キリスト教徒が多いアルメニア系 (特にチェルケス人) がマムルークの供給源となった。 インドや中央アジアなどの東方では非マムルーク政権に取って代わられたが、 エジプトではマムルーク政権が長く続き、 オスマン朝による征服後もその配下の領主として実権を握り続けた。 この支配は、アルバニア人と思われるメフメト=アリがマムルークを一掃し、 己の王朝を築く19世紀まで500年以上続いたのである。

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