[ヨーロッパ−近世]
大航海時代の航海者で、初めて世界一周した艦隊の最初の司令官。
姓はポルトガル語でマガリャンイス、スペイン語でマガリャネスで、
マゼランは英語マジェランが元。
ポルトガルの下級貴族の出身で、
アルブケルケの前任者アルメイダの部下としてアジアで戦功を立てた。
帰国後モロッコでも戦闘に参加したが、
戦利品を独占したと疑われた上待遇にも不満を持っていたマゼランは
スペインに移り住んだ。
スペイン王カルロス(後のカール5世)を説いて
モルッカ諸島(香料諸島)への西廻り航路開拓艦隊の派遣させ、
自身その司令官に任命された。
5隻からなるマゼラン艦隊は南米を南下し、
先ずはラプラタ河が海峡ではなく河であることを突き止めた。
さらに南下しマゼラン海峡を発見して太平洋へと渡ったが、
ほとんど陸地が無い海域を航海し飢えに苦しめられた。
グアムと推定される島では原住民から略奪したが、
原住民に奪回されて逆上し結局焼き討ちしてしまった。
その後フィリピンに到達したことで以前アルメイダの部下だったときとは
逆廻りで東南アジアに到達し、マゼラン自身もほぼ世界一周を成し遂げた。
セブ島の指導者を懐柔してキリスト教に改宗させたが、
これに反発したマクタン島のムスリム領主ラプ=ラプと戦闘になり、
敗れてマゼランは戦死した。
残った部下はエルカーノを指揮者として航海を続けて帰国したが、
結局5隻で出発して目的を達したのは1隻だけだった。
それでもモルッカ諸島で得た香料のお蔭で船員達は富を得たという。
マゼランの航海によって地球が丸いことが実証され、
またマゼラン海峡や航海のための天体観測から大小マゼラン星雲の発見者となった。
また太平洋は彼の艦隊が途中で嵐に遭わなかったことから名付けられた。
偉大な航海者であると言えよう。
一方で、航海途中での略奪行為などは彼もこの時代のヨーロッパ人であり
非ヨーロッパ人に対する差別意識に囚われていたことを示す。
途中で戦死したのはコロンブスのように晩節を汚さずに済み
却って幸いだったのかもしれない。