ルイ16世

[ヨーロッパ−近世・近代]

ブルボン朝のフランス王。 フランス革命時の王でフランス最後の絶対君主にして最初の立憲君主である。 王太子の三男として生まれたが、 兄も父も早世したため祖父15世の後継者である太子となった。 長年対立していたオーストリアのハプスブルク家と和議を結ぶため、 マリア=アントーニア(フランス名マリー=アントワネット)と政略結婚した。 その後王位に就いたが、 長年の積極外交の結果財政難に悩まされていたが、 これまでの外交方針を継続し、 アメリカ独立戦争に介入するなどしてさらに財政を悪化させていった。 このこととルイ自身啓蒙思想に理解があったことから、 啓蒙専制君主として改革を進めたが、 保守派貴族らの抵抗により失敗した。 平民の支持を得るため三部会を招集したが、 これにより革命が勃発することとなった。 革命当初はルイは国民に支持されていたが、 啓蒙的とは言え専制君主であった彼は革命の進展を望まず、 パリを脱出して外国の力を借りて押さえ込もうとした。 しかし途中ヴァレンヌにて発見されて逃亡に失敗し、 国民の信頼を失い軟禁された。 さらに王権が停止され、 過激派の台頭によって「王である」という理由で有罪とされ、 ギロチンによって斬首された。
ルイ16世は革命の混乱が生じた時の王であったことから、 以前は無能なお人好しと見られていた。 近年になって再評価が進み、 優柔不断な面はあったが、 進んだ思想を持った啓蒙専制君主であったと見られるようになった。 有能な善人であったが、 生まれた時代の所為で不幸な最期を遂げた悲劇の人であったと言えよう。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る