ルイ13世

[ヨーロッパ−近世]

ブルボン朝のフランス王。 父アンリ大王の暗殺により幼くして即位した。 それ故当初は母マリー=ド=メディシスが摂政として統治したが、 ルイが成長すると主導権を巡って対立するようになった。 当時のフランスは国内のユグノーが反独立国とも言える程の勢力を擁し コンデ公アンリの反乱を支援して王とも対立した。 この2つの対立は若い王を長年悩ませることとなった。 何れも反乱を鎮圧したり幽閉したりするものの、 反対派に担ぎ出されて度々復活し、ルイを悩ませるのだった。 ルイは最初リュイヌ公シャルル、 その戦病死後はリシュリュー枢機卿を信任して政務に当たらせた。 三十年戦争が勃発すると、 ルイ自身は熱心なカトリックであったため皇帝に加担したがったが、 結局ハプスブルク家封じ込めを優先してプロテスタント側に加担した。 またリシュリュー主導でユグノーの本拠地ラ=ロシェルを陥落させ、 信仰の自由と引き換えに政治的・軍事的特権を撤廃させることに成功した。 王妃とは不仲で、愛人もおらず長年世継ぎができなかったが、 死の5年前に待望の男子(後のルイ14世)が生まれ王家断絶を免れた。 しかし、リシュリューの死後間もなくルイ13世も病死し、 2代続けて幼少の王が即位することとなり、 そのためフランスの政治改革は遅れることとなった。
ルイ13世は父大王のような手腕や息子太陽王のような派手さは無いが、 有能な家臣であるリシュリューを信任し王政の強化を図り、ほぼ成功した。 当時のフランスは母子の対立・ ユグノーが支持する貴族の反乱という問題を抱えていたが、 前者はリシュリューによって亡命・失脚させ、 後者も13世の代での反乱は終息させた。 三十年戦争の直接介入によって戦費が増大し民衆蜂起を招いたこともあったが、 海外植民地を広げたり海軍を近代化させたりしてフランスは順調に発展した。 概ね有能な王と言えよう。 何も自ら仕切るばかりが能ではないのである。

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