ロレンツォ=デ=メディチ

[ヨーロッパ−中世]

メディチ家の当主でフィレンツェの事実上の支配者。 メディチ家およびフィレンツェの最盛期の当主で ロレンツォ=「イル=マニフィコ」(偉大なるロレンツォ) と呼ばれた。 祖父コジモがフィレンツェを支配下に置いた後に生まれ、 病弱であった父ピエロの死後若くしてメディチ家の当主となった。 政敵のパッツィ家の陰謀事件によって暗殺の危機に見舞われたが、 弟は殺されたものの自身は助かり暗殺者は処刑、 パッツィ家を粛清したことでこれと繋がっていた教皇と対立したが、 大胆な外交活動でナポリなどの他国と和平を結び、 さらに教皇の死により危機を乗り越えた。 その後はフィレンツェの社会およびメディチ家の支配は安定し、 その優れた外交手腕でイタリアの安定と繁栄を築いた。 祖父や父と同様芸術家もパトロンとして保護し、 ルネサンスの繁栄にも寄与した。 一方本業である銀行の経営は部下任せにした挙句ほとんど破産してしまった。 また治世の末期には禁欲を説く修道士サヴォナローラが台頭し、 次代にメディチ家が追放される要因の一つとなった。 最期は持病の通風が悪化し、病弱と言われた父ピエロよりも若く死去した。 ロレンツォの死後フランスのイタリア侵攻とサヴォナローラにより メディチ家はフィレンツェから追放され、 フィレンツェの衰退が始まることとなる。

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