[北米−近代]
アメリカの政治家。
南北戦争時の大統領で、後世「奴隷解放の父」として高い評価を受けている。
ケンタッキー州の田舎で開拓農民兼大工の子として生まれた。
生家は裕福であったが、偽の土地権利書を掴まされて土地を失い、
インディアナ州、次いでイリノイ州に引っ越した。
若い頃は独学で学びながら様々な職を転々とし、
政治家を志してホイッグ党に入りイリノイ州議会議員・弁護士となった。
さらに下院議員として国政に進出したが、
米墨戦争に反対したことで非愛国者と見做されて支持を失い、
一時政界を退いて弁護士に専念した。
このときの弁護士としての仕事ぶりが良く
「正直者エイブ」と評判を受けた。
奴隷制を巡って南北の対立が深まると上院議員として政界に復帰し、
奴隷制反対派の中心人物となっていった。
カンザス=ネブラスカ法を巡る混乱の中生まれた共和党に入党し、
奴隷擁護派の中心スティーブン=ダグラスと討論を繰り広げることで支持を集めた。
遂に共和党の大統領候補として選挙に勝ち大統領となったが、
これが南部奴隷州の反発を買い合衆国からの離脱・連合国の結成に至ってしまった。
リンカーンは奴隷制反対ではあったものの、
即時廃止までは求めない穏健派であったが、
分離独立には強硬に反対し連合国を違法であると宣言した。
連合国軍(=南軍)がサムター要塞を攻撃したことで南北戦争が勃発すると、
最高司令官として合衆国軍(=北軍)を率いた。
当初はヨーロッパ列強の支援を受け将兵の質が高かった南軍が優勢であったが、
奴隷解放宣言を発して国内外の世論を動かし、北軍が優勢になっていった。
なお宣言は合衆国に残った奴隷州や大統領に立法権が無いことなどに配慮して
対象を連合国所属の奴隷に限定し、
また苦し紛れに思われないよう
局地戦のアンティータムの戦いで勝利した直後に出された。
現場で指揮を執る司令官、
特に主力部隊を率いるポトマック軍司令官の人選には悩まされ、
当初予定していたリー将軍は郷土愛から南軍に付き、
マクレラン将軍は有能ではあるが反抗的で意思疎通を欠き、
ゲティスバーグで勝利したミード将軍など他の将軍も特に戦略面での力量が不足し
優勢な兵力を持ちながらリー将軍相手に優勢に戦うことが出来なかった。
ミード将軍の上官として別動隊のテネシー軍を率いていたグラント将軍を
総司令官に抜擢すると
シャーマン将軍による南部焦土化などを駆使し優勢に戦いを進めるようになった。
リンカーンは奴隷解放宣言やゲティスバーグでの演説が評価されて
戦時中に行われた大統領選挙で再選され、
南北戦争を勝利に導いた。
しかし戦後間もなく劇場での観劇中に南部支持の役者によって暗殺された。
リンカーンは最もアメリカ人の犠牲が大きかった南北戦争時の大統領であること、
奴隷解放宣言やゲティスバーグの演説によって後世高く評価された。
元々リンカーンは奴隷州の拡大を抑えることによる奴隷制の衰退を目指す
反対派の中では穏健派であったが、
南部が合衆国離脱という強硬策に出ると断固反対し、
最終的に奴隷制完全廃止へと舵を切った。
軍司令官には文民なのに軍事に口を出すと嫌われていたが、
マクレランは奴隷解放に消極的で大統領に反抗的、
他の司令官は師団長は出来てもより戦略を求められる軍司令官としては精彩を欠き
アル中だが有能なグラントを抜擢するまで人材に恵まれなかった点が大きかった。
また奴隷解放も合衆国に残った奴隷州や議会に配慮して慎重に進められており、
苦労が偲ばれる。