レオナルド=ダ=ヴィンチ

[ヨーロッパ−近世]

ルネサンスを代表する芸術家。 主に絵画で名を残したが、それ以外にも彫刻・土木・建築・ 自然科学などにも足跡を残し、万能の人とも呼ばれる。 フィレンツェ郊外のヴィンチ村で公証人の父の私生児として生まれる。 父はそれなりの名士であったが、 私生児であったためか正規の教育は受けず、 左手で鏡文字を書く癖はこのころついたと言われる。 その後フィレンツェで芸術家のアンドレア=デル=ヴェロッキオに弟子入りし、 すぐに絵画部門を任されるまでになった。 後に独立し、ミラノ公イル=モーロに仕えた。 「最後の晩餐」はこの頃に描かれた。 フランスのイタリア侵攻により主イル=モーロが逃亡したため、 レオナルドは北イタリア各地を転々とした後、 チェーザレ=ボルジアの顧問となった。 この時は主に兵器や土木建築などの技術者として働いたが、 短期間で主の下を離れた。 ちなみに間もなくチェーザレ=ボルジアも没落した。 その後は北・中部イタリアを転々としていたが、 イタリアに侵攻していたフランス王フランソワ1世と知り合い、 晩年はフランスのクルーの館に招かれ、そこで過ごした。 その縁で「モナ=リザ」など幾つかの絵画はフランスに寄贈された。
レオナルドは万能の天才と呼ばれるが、専ら絵画で後世に知られている。 また幅広い人体構造を始めとする自然科学の研究も知られているが、 あまりにも研究に深入りし過ぎるため、 当時は作品の制作期限を守らないことでも有名であった。 またその「やり過ぎ」のためか「スフォルツァ騎馬」や「アンギアーリの戦い」など 未完成の作品も多い(モナ=リザも未完と言われている)。 正にナントカと紙一重の天才だったであろうことが推察される。

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