[ヨーロッパ−近世]
ドイツの哲学者・数学者。
近世の合理主義の代表的哲学者であると同時に
微積分学・記号論理学を確立させた数学者でもある。
ライプツィヒの哲学教授の子として生まれ、
ニコライ学院、次いでライプツィヒ大学で学んだ。
その後マインツ選帝侯に仕え、その死後はパリで就職活動の後カレンベルク候に仕え、
生涯その領地であるハノーファーで過ごした。
哲学ではモナドロジーが有名で、
世界はこれ以上分解できない最小の単位である「モナド」から成り立っているとした。
またその関連で現在の記号論理学の道具である記述言語を考案した。
これにより人間の思考も機械的に扱えるものに置き換えられるようになり、
後世コンピューターアルゴリズムの考えの基盤となった。
またニュートンとほぼ同時期に独立に微積分法を発明し、
その権利を巡って不毛な法廷闘争を繰り広げた。
結局微積分の発明者の栄誉は両者対等となったが、
大陸で活動したライプニッツの系列が後世の発展の基盤となった。
ライプニッツはこの時代を代表する天才学者であったが、
当時の後進地域であったドイツでは理解者に恵まれなかった。
ライプニッツ自身天才に有り勝ちなきつい性格であったこともあり、
侯妃などの女性には尊敬されたが侯爵には理解されず、
家史編纂という面白味に欠ける仕事に就いていた。
後に選帝侯はイギリス王ジョージ1世となったが、
ライプニッツは煙たがられてドイツに置いて行かれた。
結局侯妃が無くなった後の晩年は周囲の理解者に恵まれず、
外国の学者との文通が唯一の気慰みであったという。