レギオン

[共和制ローマ・ローマ帝国]

ローマが共和制時代にファランクスを改良して生み出した陣形。 内容の詳細は時代ごとに異なるが、 基本的に60人のケントゥリア(百人ではないが百人隊と訳される) 2つで120人のマニプルを基本とする。 重装歩兵のマニプルを横に並べた戦列を3列設けるのが基本で、 それに補助として軽装歩兵や騎兵が付いた。 構成員は共和制時代は市民からの徴 兵で、 軍馬の所持に金がかかるため騎兵は特に豊かな者がなった (このため新興富裕層をエクイテス=騎士階級と呼んだ)。 ローマの領域が広がると属州民の軽装歩兵や騎兵を補助部隊として取り入れ、 また共和制末期のマリウスの改革によって軍団の主力は志願兵になった。 ファランクスの重装歩兵は長槍と丸楯で武装していたが、 ローマのレギオンでは投げ槍が主体であった。 またスキピオ=アフリカヌスがヒスパニア滞在中に、 現地で使われていた小剣グラディウスを採用し、 使いやすさから全軍で正式採用された。 また、そのスキピオがヌミディア騎兵を味方に付け、 ハンニバルに勝利してからは、騎兵も効果的に運用するようになった。 このようにファランクスに比べ柔軟性に優れた体制であり、 ローマの覇権確立に大いに貢献した。 しかしレギオンもローマと共に衰退し、中世戦術は大きく後退した。 再び西洋で戦術がまともに研究されるのは 中世末期から近代初期にかけてである。

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