[ヨーロッパ−近世]
フランスの化学者。
質量保存の法則を発見したことから「近代化学の父」と呼ばれる。
パリで弁護士の子として生まれ、幼い頃母を亡くし莫大な遺産を相続し、叔母の元で育てられた。
父の跡を継ぐためパリ大学法学部へ進み法学士となるが、
在学中に天文学・博物学・化学なども学び興味を持った。
さらに鉱物学者のゲタールと共に旅行して石膏の比較研究を行い、
推量より定量実験を重視する姿勢の基となった。
さらにフランス科学アカデミーの会員となり、
徴税請負人の仕事の傍ら化学実験を行った。
さらに金で貴族の地位を得、
さらに火薬管理監督官となって兵器廠に実験室を作ってそこで実験を行うようになった。
そこでの実験では火薬の改良を行い、さらに農家に報奨金を払って硝石を作らせた。
それらの実用的な実験をしながら当時世間を席巻していたフロギストン説の検証を行い、
燃焼によって質量が増加することから、
燃焼はフロギストンの発生ではなく酸素との結合であることを発見した。
これが質量保存の法則となり、ラヴォアジエが近代化学の父と呼ばれる元となった。
フランス革命後は度量衡設立委員会の委員などを務めたが、
徴税請負人をしていたことから逮捕され、
「共和国に科学者は不要である」として処刑された。
その死を聞いた友人のラグランジュは
「頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つ者が現れるには百年かかるだろう」
と言って嘆いたと言われる。
ラヴォアジエは「近代化学の父」の名に相応しい偉大な化学者だが、非業の死を遂げた。
これは彼の所為と言うより、革命の暴走による凶行と見做されている。
全く理想に狂った人間ほどおぞましい者は無いものである。