[ヨーロッパ−近代]
フランス第一帝政の元帥。
「フランスのアイアス」(或いはローラン、アキレス)と呼ばれた勇士で、
ナポレオンの最も親しい友としても知られる。
小作農の子として生まれたが、度胸と面倒見の良さで郷里で名を馳せた。
父の薦めで染物師となるべく丁稚奉公に出されたが、
革命が勃発すると職を投げうって国民衛兵隊に志願し、
故郷での評判から歩兵少尉となり、並外れた勇気で頭角を現した。
上官との諍いから強制除隊となるものの、
軍隊に拘ったランヌは一兵卒としてイタリア方面軍に潜り込み、
すぐに持ち前の勇敢さから軍曹に昇進した。
さらに司令官となったナポレオンに評価され少佐に返り咲いた。
ランヌは期待に応えて勇戦奮闘し、
感激したナポレオンは以後ランヌを死ぬまで友人として遇し続けた。
エジプト遠征では師団長となり、
相変わらず前線で勇戦してドゼー将軍から「勇者の中の勇者」と称えられたが、
この頃妻の不義密通により離婚している。
ナポレオンのエジプト脱出メンバーに加わり、
中将に昇進すると、単なる勇士から指揮官としての適性も見せ始め、
イタリアのマレンゴの戦いでは劣勢の部隊を率いて善戦し、
勝利に貢献した。
その後ナポレオンの妹カトリーヌに求婚しようとするもミュラに先を越されたが、
結果として宮廷一の美女と評判のルイーズと相思相愛となって結婚した。
ちなみにカトリーヌは我儘な性格でミュラを振り回し、
ランヌは「外れ」を回避できたこととなった。
ナポレオンが皇帝となると元帥に選ばれ、
第5軍団を率いて主要な戦いで活躍した。
ミュラ(やその他品行に問題のある同僚)と仲が悪く度々互いを非難したが、
将兵の人気は高く、また戦略戦術に長けたランヌは拠点攻略や敵軍阻止などの重要な任務をよく果たした。
スペインでもサラゴサを陥落させたが、戦いの悲惨さに心を痛め戦争を倦むようになったと言われている。
その後オーストリア遠征に参戦したが、陣頭指揮を執っている最中足に砲弾を受け、
右足切断の手術をしたものの傷口が化膿し、容態が悪化してそのまま死去した。
結果としてランヌは最初に戦死した帝国元帥となった。
ナポレオンはランヌと友として扱い、「君」と呼ぶことを許していた。
さらに回想で、
「ランヌは最初精神よりも勇気が勝っていたが、精神の方も日々高まりバランスが取れるようになった。」
「ちっぽけな人物だった彼を登用したが、失った時には偉大な人物となっていた。」
「彼を剣士として見出し、騎士として失った。」
と元は猪子武者であったが成長して知勇に優れた名将となったと評価し、
その死の際には抱きしめながら「生きてくれ」と懇願し、他の誰よりもその死を惜しまれた。
世間の評価もナポレオン配下の中でも数少ない独自の戦略が立てられる名将と見られている
(この点が同じ「勇者」のネイとは異なる部分である)。
短気な激情家で問題を起こすことも多かったが、誇り高く名誉を重んじる人となりで将兵の人気は高かった。
同僚の中ではミュラ・べシェール・スールト・ベルナドットと仲が悪く、
ドゼー・ネイ・スーシェらと親しかった。
見事に不真面目な俗物と真面目に分かれているのは気のせいではあるまい。