ラファイエット

[ヨーロッパ−近世・近代]

フランス革命期の政治家・軍人。 正式名称はラファイエット侯爵 マリー=ジョゼフ=ポール=イヴ=ロシュ=ジルベール=デュ=モティエ という長いもの。 アメリカ独立戦争とフランス革命で活躍し、両大陸の英雄と呼ばれた。 南フランスの軍人貴族の出身で、 父はラファイエットが2歳のとき七年戦争で戦死している。 彼も先祖同様若くして軍隊に入り軍人の道を選んだ。 アメリカ独立戦争が勃発すると、フランスに来ていたフランクリンに共感し、 自費を投じて義勇兵として参戦し陸軍少将として活躍した。 帰国後は「新大陸の英雄」として名声を得た。 三部会が招集されると第二身分(貴族)代表として加わったが、 アメリカ独立戦争の影響もあって第三身分に味方した。 バスティーユ襲撃によってフランス革命が勃発すると、 新設された民兵組織である国民衛兵の総司令官に選ばれた。 しかしその後は民衆の暴走を抑えられず治安維持に失敗し、 さらに王家の逃亡を阻止できなかったりと失態を繰り返し、 名声を失墜させていった。 さらに共和派の集会に対して発砲して「シャン=ド=マルスの虐殺」 を引き起こしたことで政治生命を完全に断たれた。 その後一司令官として革命戦争に参加したが、 王権停止とともに司令官を解任され、 身の危険を感じたラファイエットはオーストリアに亡命した。 だがオーストリアでは捕虜として監禁され、 後に帰国したがナポレオン政権下では公職に就くことはなく隠棲した。 晩年七月革命でルイ=フィリップを支持し国民軍司令官となったが、 短期間で解任され、間もなく死去した。
ラファイエットはアメリカ独立戦争では一司令官として活躍し名声を得たが、 後の大統領のジェファーソンに「人気と評判に飢えている」と評されていた。 フランス革命で総司令官となってからは精彩を欠き、 徒に評判を落として零落することになった。 彼もナポレオンの配下に多かった「勇猛な隊長」であり、 戦略・政略が出来る人物では無かったと推察される。

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