共和政ローマ(きょうわせいローマ)

[共和政ローマ]

中部イタリアに建設された都市ローマは始め王政であったが、 やがて王が追放され、共和政ローマが誕生した。 この共和政はオクタヴィアヌスが帝政を始めるまで続き、 その時期はローマの発展期と重なる。 また内政面では、貴族と平民の長い権力闘争の時代であった。 始めに権力を握っていたのは、街の有力者すなわち貴族であった。 そのためコンスル(執政官)を始めとする主な役職、 及び国家の真の権力機関である元老院は全て パトリキと呼ばれる貴族が独占していた。 しかし、ローマが発展するに伴い平民も力をつけると、 彼らも政治への参加を求めるようになった。 結果、護民官の設置等平民の権限も徐々に拡大していった。 対外的には、ガリア人に首都を占領されたり、 当時最強と言われたピュロス王と戦うなどの危機を乗り越え、 イタリア半島を統一する。 その後、地中海の覇権をかけて、カルタゴと戦うことになる。 カルタゴの名将ハンニバルによってローマは大きな危機を迎えるが、 その組織力と若いスキピオらの働きによってこれも勝利、 最後にはカルタゴを文字通り滅ぼして決着をつける。 しかし、このことが新たな問題を生み出したのである。
ローマはシチリア島や北アフリカを領土に加え、 そこから安い農作物が大量に入ってくる事により、 イタリアの農業は事実上壊滅した (そして帝国期に入っても、イタリアは自給能力を失ったままである)。 一方属州での徴税の請け負い等により、 平民の中から富裕層が現れ、エクイテスという新しい階層が形成された。 結果として社会構造に大きな変動が起こり、 国内での争いが門閥派と平民派の対立という形で起こったのである。 これに対し、平民派のグラックス兄弟は、相次いで護民官になり、 政治改革によって現状を打破しようとしたが、 暗殺という形で終止符を打たれる。 次に時代を動かしたのはマリウスとスラという それぞれの派閥を代表することになる有力者であった。 個人が圧倒的力を持っている辺り、既に帝政の影を見る事が出来る。 国家の拡大によって各地に頻発するようになった戦争で頭角を現わした2人は、 相次いで政治の実権を握った。 マリウスの死後、初めて終身独裁官となったスラは、 強引に(恐怖を伴って)改革を推し進め、共和政を強化して世を去る。 しかし、既に共和制の基盤は崩壊していた。 彼の死後、時代を動かしたのはポンペイウス、クラッスス、 そしてカエサルといった有力者だったのである。 元老院に彼らに代わって国を動かす力はすでに無かった。 クラッススの死後ポンペイウスに肩入れして 平民派であったカエサルの追い落としを図るが、 逆にカエサルに敗北する。 カエサルの暗殺という手段で共和政維持派 (=門閥派)は起死回生を図るが、 カエサルの後継者であるアントニウスやオクタヴィアヌスによって敗北、 最後に勝利者となったオクタヴィアヌスによって事実上の帝政が打ち立てられ、 共和政は消滅した。 以後、ローマは帝政という形で新たな時代を突き進むこととなる。

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